1章 再起

 2009年、NEST基地。
 カスミはどう言う成り行きかもう既に思い出せないが、此処で雑用をこなしていた。
 ごく平凡な日本人女性がアメリカ軍の極秘に類するであろう基地に居座る為に、政府間での交渉がなにやらあったらしいが、彼女自身に詳細は伝えられて居なかった。
 そんな事は彼女にとっては、知る権利があったとしても左程興味はないであろう。
 カスミは只ひたすら、「彼」の傍に居られればそれで幸せだったのだから。

 毎日のように「先生、彼は…」と訊くので、もう既にラチェットはカスミの顔を見ただけでジャズの容態を知らせるようになっていた。
 無残に引き裂かれ、輝きを失ったシルバーのボディ。2年前の戦いでメガトロンに破れ、ほぼ回復不可能なほどに傷付いたジャズである。
 「名医」ラチェットですら、彼を治癒させるにはかなりの苦心を要した。
 助手のジョルトと共に、日々治療を行っていたが、その間にもディセプティコンの襲撃は世界各地で行われ、ただジャズを回復させる為にだけ動いては居られなかったので、余計回復には時間を要した。
 
 そんな苦労が報われる日が、漸く訪れた。
「カスミ」聞き慣れたラチェットの声に、カスミは振り向いて黄緑色のロボットを見上げた。「ジャズの意識が戻った」
 カスミは余りの嬉しさに手に持っていた書類をうっかり落としてしまった。
 慌ててそれを拾い上げながら、顔だけはラチェットの方を見て「本当ですか!?」と訊く。
「まだ動いたりトランスフォームしたりは無理だが、会話は出来る。…会いたいのだろう?」
「も、勿論ですよ!!」カスミは自分でも頬が紅潮しているのを自覚していた。
 初めて――あの戦いの時に姿を見た時から、彼と話したくて仕方なかった。一目惚れだった。
 だがしかし、彼女が初めて間近に触れた時、ジャズはもう再起不能と思われる状態に陥っていた。
 それが、話せる?
 ジャズにとってカスミなんて、あの時訳も解らず逃げ惑っていた一般人の一人に過ぎないだろう。絶対に覚えている筈もない。
 私はどう言葉を交わせば良いの?
 カスミの中で、様々な思いがぐるぐると交錯していた。

 がらり。
 ラチェットはオートボットが容易に通れるように作られた大きな扉を開けた。
 その先には、ジャズが横たわっている。しかしその体は生命維持機能を失ってくすんだ色のスクラップのようになっていた彼ではない。あの時戦っていたように、美しいシルバーに輝き蛍光灯の光を眩く反射する程であった。
「ジャズさん…」
 カスミは次の言葉が次げなかった。彼にどう声を掛けて良いのか、悩んだ挙句結局解らなかったのだ。
「お嬢さん、君がカスミ?」
 一方的に片思いしている相手に名前を呼ばれて、カスミは口から内臓が飛び出そうな程に驚き、困惑した。
「ラチェットから聞いた。俺が助かるように、って頼んでくれたと」
「いや、その、だって…えっと。私は、貴方が勇敢に戦ってくれたから、今此処に居ると思うんです」緊張しつつ、ゆっくり喋る。「じゃなきゃ、とっくに死んで入るお墓に困ってました」
 よし、冗談を言う余力はある。落ち着け自分。カスミは自分に言い聞かせた。
「俺は当然の事をしただけだ。ディセプティコンと戦うのが我々の役目なのだから」
「でも、本当に…感謝してます」
「有難う」バイザー越しだったが、カスミはジャズが優しい目でこっちを見ているのを感じた。「人間にもこう言う人種が居るんだな」
 人種、と言われてカスミは自分が東洋人である事を指摘されたのかと思ったが、そうではなくオートボットに思慕の情を抱く人間、と言う意味であった。
「お礼に、何かしたいが」
「私は貴方が元気になってくれるだけで十分なんです!!」
 カスミは咄嗟に大きな声を出した。
「俺の事をそんなにも…」
 其処にラチェットが口を挟む。
「彼女はお前に特別な情念を抱いているようだ」
 きっと、医学的見地から見た事をそのまま言っただけなのだろうが、カスミにはラチェットのその発言が恥ずかしくて仕方なかった。
「先生!!止めて下さい!!その、ジャズさんに変な気持ちなんて…」
「特別?俺が?」ジャズは自分が人間にそう言う風に見られるのは勿論初めてだったので不思議そうな顔をした。
「えっと、まあ…ラチェット先生の言ってる事は間違ってはないです」
「人間と我々が恋愛…実に興味深い」
 先生は一言多いんです、とカスミは反論したかったが多分ラチェットは純粋に人間の心理に興味があるだけなのだ、と肯定的に捉える事にした。
「まあラチェットの言ってる事がどこまで本当かは解らないけれど」
 ジャズはまだ僅かにしか動かない腕をカスミの方に差し出す。
 カスミはは咄嗟にジャズの手に触れて、自分がなんだかとてつもなく破廉恥な事をしてしまった気になって顔を赤らめた。
「お嬢さんが俺の事を凄く真剣に考えてくれてたってのは解ったよ」
「私…でも貴方の事、良く考えたら全然知らない」
「それはお互い様だろ?俺は君が俺の事を心配してくれた、って聞いて嬉しかった」
「え、ちょっと」
 これは夢ではないのだろうか。カスミはそう思った。
「もっと話したいから、また来てくれ」
「あ、当たり前です!でも、私なんかで良いんですか?人間の中でも背は滅茶苦茶低い方だし、全然美人とは程遠いし!」
「俺だってオートボットの中では小柄だよ」ジャズは苦笑した。「心配してくれない美人より、ずっと俺の事を心配し続けてくれた普通の子の方が良いに決まってる」
 それは告白なのだろうか、と考える余裕すらなく、カスミはただ顔を赤らめて照れ、悶絶しそうなのを堪えるしかなかった。
「そうそう」
「なんですか?」カスミは目を丸くして聞き返す。
「俺がもうちょっと回復して、ちゃんとトランスフォーム出来るようになったら、人間の街まで連れて行ってくれないか?地球の文化には興味がある」
「は、はい!私で良ければ、案内します!!」
 そのやりとりを、ラチェットは「前代未聞のオートボットと人間の恋に発展するのだろうか?」と思いつつにやにやと見ているのであった。

つづく。